田澤修平の膝痛改善アクティブストレッチ

プロフィール

1984年 東京都文京区にて田澤家の3男として生を受ける。子供の頃はとにかく落ち着きがなくそこらじゅうを走り回っていました。その絶えず体を動かしていた習慣もあり体育の成績はいつも高得点でした。

スポーツ少年というよりかはただシンプルに身体を動かすそして動かした結果、徐々にその部位が逞しく変化する。そのコツコツとこなす過程がとても楽しく2003年高校を卒業後、単にデスクワークよりは身体を使う仕事がしたいという単純な発想からスポーツ専門学校へ入学。

その授業の一環で【エアロビクス】の出会いから自分の人生は大きく変わる。人前であんなにキラキラと輝きながら 楽しい空間を作り出し、多くの人を健康に 元気にする事が出来て、尚且つスポーツで 大きな実績ある無し関係なく誰でも参加することが出来る。あっと言う間にエアロビクスの魅力に引き込まれ、時間があればフィットネスクラブに通い、レッスンを受けていました。

もともとフィットネス関係の仕事を・・・とぼんやりと進路を委ねていましたがこの頃からエアロビクスインストラクターとしてデビューを夢見るようになる。

2005年学校を卒業後、某スポーツクラブに就職。エアロビクス始め様々なグループワークを 担当させてもらいインストラクターとしての経験を積む。 2012年にフリーフィットネスインストラクターとしてデビュー。積極的にオーデションに応募しては貪欲に仕事に食らいつき、あっという間に一週間のスケジュールがレッスンでいっぱいになる。暫くは目の前のレッスンを全力でこなす日々を送る。

デビューから2年ほどたったある日ふと思うスケジュールが埋まったはいいものの、今度はレッスンスケジュールに追われ身体のメンテナンスをしていても、それに追いつかないくらいのオーバーワークが重なり身体があちこち痛くなってくる。

特に膝や腰にダメージが大きく感じる。同業者の交流会などである程度予想は付いていたが、多くの人がこの様なオーバーワークにより身体を壊している現実を知る。

インストラクターという職業は人を健康にそして笑顔にすることができる素晴らしい仕事だが、同時に時間をどう使うかという冷静な判断が出来なくなったり、身体を酷使する上で逆に自身が壊す危険性も伴う、そして年々スポーツクラブが街に増え続ける一方で、徐々にレッスン一本一本の単価の価値が下がり始めだしてから今後の将来を考えるようになる。

ある日お客様から膝が痛いという訴えに対し『無理しないでくださいね』というどこにでもあるような言葉を発している自分に疑問を感じた。 グループレッスンにはどうしても一人一人のお客様に目を行き届かすことが難しく、尚且つ一人一人の症状や悩みなど深く突っ込めない。

そもそも自分は人を幸せに出来ていたのか・・・自分の仕事はただの自己満足なのか・・・そんなフラストレーションを感じながら活動していた最中、同じ専門学校に通っていた同級生の紹介で、とあるトレーナーの塾の存在を知る。私自身、身体を痛めやすいこと そして自身のスキル、知識、ビジネススキル の足りなさ故、『お客様を幸せにする仕事をしています!』と胸を張っていえる勇気もありませんでした。迷わず入塾を決意し時間を作っては勉強会に参加。そこで得られる知識、スキル、マインドは時折参加するワークショップなどでは得られない目からウロコの情報ばかり。この知識、スキルを得ることが出来れば絶対に日本を変えられる!!!その思いで必死に食らいついてインプットをしては、現場でアウトプットを繰り返していました。

そんなことを繰り返しているうちにある日お客様から【医者や接骨院】に行っても治らなかったのに膝の痛みが無くなった!!という嬉しいお言葉を多くもらうようになる。嬉しくて飛び上がりたくなる気持ちと同時にさらなる強い気持ちが芽生える。『自身ののトレーナーは最終的には自分自身』お客様一人一人が自立し、自分の意志で正しい身体の使い方をしなければ改善に結びつけることが出来ない。

そのためにお客様をリピーター依存をさせていてはいけない。当たり前の事ですが適度な休養、適度な食事、適度な人間関係このバランスが崩れるとたちまち心と身体のバランスが取れなくなり、どんどんマイナス思考になり、日々のルーティンワークも疎かになる。整骨院、接骨院、整体、マッサージ、トレーニングどの要素も少しずつ必要ではあるが、お客様の状態の根本に棲みつく原因を探し出し、追求してくれる指導者がまだまだ余りにも少ない。

今後の未来は確実に高齢化が進み『今のまま』だと身体の痛みや不調が治らず、いずれは寝たきりや介護施設に入ってしまう方がどんどん増え結果的に今度は介護職の方々が身体を壊してしまうという悪循環に陥るし我々運動指導者も今後、表面上だけの指導をしているようでは いずれ仕事が無くなってくるだろう。そんな負のスパイラルをどうにか止めていかねばならない。

それが私に与えられた使命なのだと感じ 現在都内を中心に活動中。